人生の年表をつくってみる。
長い、つまらない。
でも、自己満足。
私は、かっこよくなりたくて、ドベから這い上がりたくて、戦うのが好きなようだ。
好きなものを、好きということが恥ずかしいと思っていた、今でも思ったりするけど、前よりは好きなものを好きといえるようになったと思っている。
◆幼稚園児のとき
・恐竜に魅了されて、研究する人になりたかった
◆小学生のとき
・わりと勉強は好きだった、ある程度の勉強ができたからかもしれない
・親のススメで水泳を始めて、6年間続けた
・字が汚すぎて、書道教室に5年間、卒業まで続けさせられた
・弟が始めたいと言い始めた少年野球に、無理やり突っ込まれた、卒業までは続けた
・運動はそこそこ好きで、苦手意識は無かった
・強くはなかったけど、ゲームが好きだった
・アニメ全盛期だったと思う、TVのゴールデンはほとんどアニメだった、好きだった
・漫画も読んでた、親の趣味だと思うけど、ブラック・ジャックだった
・不自由を感じたことはなかった
・イジメるか、イジメられるか、圧倒的に後者
◆中学生のとき
・野球は自分にセンスを感じなくて辞めた
・男の子らしい、不純な理由でバスケ部に入ろうと思った
・なぜか父親もバスケ部は賛成だった
・公立の中学校だけど、最寄りが荒れていて、ちょっと遠めのところだった
・最初の定期考査(テスト)で学年2位だった、マジでびっくりした
・結果として学力、テストの点数、は良い方だった。最後まで2位止まりだったけど
・バスケはうまくなれなかったと思う、下手なままだった
・目が悪くなってコンタクトレンズとメガネが必要になった
・浮いた話は無かった、どちらかといえば、キモがられる方が多かった
・イジメられることも多かったと思う
・ませたガキで、学校の勉強が嫌いになった、学校の先生に対して疑問が湧き始めた
・漠然と医師になりたいような気持ちがあった
◆高校生のとき
・公立の高校へ進学できた、弟・妹がいて私立に行くなら授業料免除以外は選択肢にない
・勉強は全然ダメな方になった、井の中の蛙だったことを知った
・医師は無理だと悟った、
・化学だけ感動して好きになった、サイエンティストが夢と言ったら聞こえはいいかな
・バスケは続けた、同期は一生モノ
・でもバスケは上手くならなかった
・正直、あんまり何があったか覚えてないんだよね
・彼女ができることも無く終わる
◆大学生のとき
・理学部化学科に現役進学
・でも大学院に行くか、就職かを1年生で考え、テスト勉強はしなくなった
・不純な理由でダンスサークルに入った
・バイトも飲食や日雇い含め、それなりにした
・ダンス界隈こそが自分の世界の全てだった
・大学時代の思い出がダンスとバイトしか思い出せない
・大学3年生で初めて彼女ができた
・このへんで人生初のモテキってやつだったんだと思う
・就活も終わって、有頂天だった
・夢は平凡なサラリーマン生活と結婚だった
◆社会人1年目~2年目のとき (2014~2015年、23~24才)
・食品メーカーに法人営業で入った
・有頂天から堕ちた、自分の世界が通じなかった
・ダンスだけは楽しかった
・仕事は頑張ってるつもりだった、つもりだったのだ
◆社会人3年目のとき (2016年、25才)
・仕事が頑張ってるつもりなことに気が付けた
・労働組合での活動も本格的になった
・不動産投資を始めた
・ダンスにもエネルギーが懸けられた
・彼女がいない一年間だった
・30才の自分を想像していた、焦った
◆社会人4年目のとき (2017年、26才)
・未だに仕事が頑張ってるつもりなことを認識した
・でも、仕事が充実し始めた
・労働組合でも中核を担う存在になった
・一人暮らしを始めた
・彼女ができた
・ダンスも全力を捧げられて楽しかった
・不動産投資で2部屋目を購入した、借り入れが与信限界になった
・サラリーマン、辞めようと思ってた
◆社会人5年目のとき (2018年、27才)
・仕事は最高に忙しかった、でも最高に楽しかった
・売り上げは担当分で翌年度に前年対比+2億円以上、前年比160%まで伸びた
・労働組合では未来を考える立場になった
・新しい挑戦を探した
・ダンスも楽しんだけど、時間を減らした
・彼女には振られた、振ってほしかった
◆社会人6年目のとき (2019年、28才)
・フィリピンでボランティア活動をすることになった
・英語を勉強して、タガログ語を諦めた
・自分の世界が狭いことを知った
◆社会人7年目のとき (2020年、29才)
・日本へ戻ることになった
・今に至る
以上